看取りケアについて考えること

副施設長の江頭です。またまた少し長い文になっていますが、よろしければお付き合いください。

現在介護の現場では少しずつ「看取り」といい、亡くなるまで慣れ親しんだ施設で最後まで看ることが増えています。行政としても病院ばかりを使われると医療費が増えてしまうので、施設や自宅での看取りを勧めている現実があります。

私は病院で10年以上勤務経験があるんですが、亡くなる前の患者さんは点滴や経験栄養(鼻からの食事)、モニターなど多くの管でつながっており、いわゆる「スパゲティ状態」になります。意識は薄れ、ただただ生きながらえている状態です。たしかに口から食事をしなくても、鼻からもしくは直接胃から栄養を入れ命をつなげることはできます。でも平均寿命を超え、病院という味気の無い非現実的な場所で最後を迎える事が本当に正しい事なのかというと疑問を感じる事があります。たぶんそういう状況に陥った時は、本人は十分には判断できません。周りの人間が、その人にどうやって亡くなってもらうのか判断することが重要だと思います。私は介護事業所の人間なので、施設の利用者様が慣れ親しんだ場所で、慣れ親しんだ声を聴きながら、家族さんや職員に見守られながら亡くなってもらいたいと思いますが、それは私個人の意見であり、最終的な判断はもちろん家族さんであり、本人の意思です。病院に行けば寿命が長くなる可能性はあります。でも病院というのは「死なせない場所」であり、「生活の場」ではありません。介護施設は、十分とは言えない医療環境ですが、本人が一日でも楽しめる環境で亡くなっていくという事は、決して悪い選択では無いと感じています。

現在介護施設での「看取り」に対し、十分な教育はされておらず、医療・介護共に理解は低いと感じています。そもそも「死」というものを若い介護職員に理解してもらうというのは残酷であり、もっと時間をかけて少しずつ理解してもらうものだと思います。私自身も「死」に正面から向き合う事なんかできません。しかし正面からは向き合わなくても、一生懸命生きた高齢者の方のために、選択肢を増やす努力はすべきだと思います。

医療費の増大を抑える為に、病院が減っていく、もしくは医療に関する自己負担額が高騰する可能性が高いと言われています。つまり病院では死ねない状況になってくることが予想されます。ならば新しい可能性としての「施設での見取り」に対して、もっともっと真剣に考えていかなければならないと思います。

一日でも長く生きることを選ぶのか? 少しでも人間性を保ったまま死ぬことを選ぶのか? 医療技術が上がり、長寿社会になった今、新しい課題を我々は突きつけられていると思います。