副施設長の江頭です。
冬季オリンピックがはじまり、日本人選手のメダル獲得のニュースが騒がしい日々になりました。ただテレビや新聞の報道の在り方に疑問を持つような意見がちらほらインターネットニュースでも見られるようになりました。それは私も同じで、以前からスポーツ自体の面白さを無視したり、日本人選手ばかり取り上げて他の頑張っている外国人選手をほとんど取り上げない国粋主義的(日本チャチャチャ的)な扱いをどうにか変化すべきではないかと思います。
ニュースというのはその時一番興味をそそられることであり、その物事自体の意味は二番目三番目だったりします。しかしそのニュースによってはその特異性が目立ち、本来取り上げるべき大事なことが抜け落ちる事が多々あります。
実は介護にも同じような事があったりします。利用者様は色々な方がいます。認知症になりとても穏やかでかわいらしくなる方もいれば、イライラして怒りやすくなる方もいます。職員にとっては利用者様がかわいらしい方が対応しやすいのは当然ですが、どの利用者様も長い間社会に貢献し、我々の生活を支えて下さった大切な先人です。その方々を今対応しやすいからといって区別をつけたりすることはできません。専門職として認知症の症状への対応を行う事、人間としてその方の尊厳を守る事、それらの視点を持ち公平に接することが求められています。一時的なことではなく、その人の全体を支える事がとても重要です。
若い職員・経験の浅い職員は利用者様に平気で「かわいい~」と表現し、扱いの易しい癒されるような利用者様にそのような言葉をかけます。ただ90歳近い高齢者を「かわいい」と表現するのがどれだけ失礼なのかその職員は理解していません。逆にどうして「かわいい」と表現するのが悪いのかさえ理解できません。自分の行動を客観視できていないからです。
物事を刹那的に浅くみる事と本質を見抜き深く考える事、それが介護の質の差につながります。深く、客観的に時に同感し接することが介護職のあるべき姿です。介護者それぞれの人間力も必要ですが、介護に携わる者が専門職として自分を磨く必要性を強く感じます。