想いを受け止めること

副施設長の江頭です。

春の心地よい気候が引きこもりがちな心を外に連れ出してくれるような季節になりました。さざんか園では相変わらずな毎日ではありますが、利用者様の変化に柔軟に対応すべく、そしてより心地よい生活を送って頂けるように日々格闘しています。

最近世間ではセクハラ・パワハラ・アルハラ(お酒系)など、ハラスメント祭りといった変な盛り上がりを見せている気がします。これは古い世代では当たり前だったことが新しい世代では受け入れられず、大きな考え方の違いがあるにも関わらずそのままにしていたことが表に出ているような気がします。最近問題になっている、お酒の席での「無礼講」は今の時代ではただの「自己管理が甘い」だけでありまったく通用しませんが、一部のお酒好きな人はいまだに「お酒飲めないんですか? 損してますね。」と言った発言を平気でして飲まない人を困惑させていたりします。

常識・モラルは常に揺れ動いています。昔の常識は今の非常識だったりします。例えば体罰を使う教師は、それが例え双方にとって納得のいく答えだったとしても客観的に見るとアウトです。考え方を変え、方法を変えるしかありません。体罰を使用することで気持ちが大きく変わり生徒が更生の道を選ぶかもしれませんが、今はその方法を使わず、例え時間がかかっても言葉で相手に理解してもらうしかありません。結果体罰を使った方がショック療法で早く更生すると分かっていても、言葉ではなかなか理解できず結果退学するとしても、体罰という方法を使ってはいけない時代になったという事です。

常識を変える、考え方を変えるという事は、時にライフスタイルの大きな変化を伴います。お酒でしかストレスを解消できない人がスポーツなどの他の趣味や方法でストレスを発散するしかなくなります。利己的な性格の人はこれがなかなかできず、もがき苦しむ結果になります。ある程度の年齢がいった人はこれができず結果時代に取り残されたように新しい考え方についていけず様々な問題を引き起こしているように思います。

これらの事は実は「認知症介護」においてよく問題になることです。認知症は普通の人が高齢になり発症し、少しずつ能力を失います。つまり常識人として社会に適応していた人が社会に適応できなくなる問題があります。その時に周りがうまく認知症の方の現状を理解し、合わせてくれれば特に何の問題もなく生活できることが多いです。ただその人の変化についていけず、「どうしてこんなことするの?」「昔はできていたのにどうして?」と考えだすと、繰り返しの質問に腹を立てたり、場所が分からずうろうろされることに対して過剰に反応し極端に病人扱いすることになります。能力が少しずつ落ちるのは認知症という病気のせいもありますが、高齢になると当たり前の事でもあります。周りの変化に恐れず自分も変わっていくことが実は今の時代求められているんじゃないでしょうか? 認知症の方の「想い」に応えられないときはいつでも「さざんか園」が相談にのりますので、よろしくお願いします。