カテゴリー別アーカイブ: スタッフのつぶやき

ただただ真っ白

副施設長の江頭です。

ただいま吉野ケ里地区は記録的な寒波の真っただ中にあります。氷点下が続いているせいか、雪の質がいままでと違い、なかなか溶けそうにないタイプみたいに感じます。道路は少し溶けている所で20㌔もだせればいい方で、あちらこちらでスリップしている車があり、レッカー車もみかけます。九州という一年にべちゃ雪が一回降るか降らないかの地域で今回のような雪が降ると、本当に生活に影響がでるというのが身に染みます。それに軽自動車の割り合いが多い佐賀では、移動は本当に危険でもあります。(寒い所に行くと四駆が多いですけど、こんな天気になると納得ですね。)

以上記録的な日に少しつぶやいてみました。

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新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。副施設長の江頭です。昨年はデイサービスセンターさざんか園が20周年という事もあり、様々なお祝いをして頂くなど、大変感謝しております。さらにデイサービスでは10月から営業時間が40分ほど延長になり、ご迷惑をおかけした所もありますが、これからもよろしくお願いします。

平成もいつのまにか28年になり、小渕さんが年号を掲げた日から27年ほど経過したことになります。本当に時というのは、振り返れば光のように一瞬に過ぎ去るものですね。

介護福祉業界は今2025年問題に直面している状況です。700万人いるといわれる「団塊の世代」が2025年に75歳になり、2割程度(約140万人)が要介護状態になると予想されていますが、その受け入れ先が無いというのが問題と言われています。2025年に向けて特別養護老人ホームを急に増やしたり、介護職員を増やそうとやっきになっている状況です。しかし付け焼刃は付け焼刃であり、ほとんど素人の介護職員が一気に増え、1000万人近くになると思われる認知症の方への対応は困難になり、薬漬け・拘束などの問題が噴出するのは目に見えている状況です。急激に需要が増え、そのあとは減少するとも言われているので、単純に受け入れ先を増やす、人を増やすなどしてもそれからがきつくなっていきます。

「外国人労働者」に関してはもう夢物語ではなく、現実の問題です。簡単な介護であればそれほど会話をする必要が無いので任せられるという話もあるし、国民性にもよりますが、日本人よりも介護がうまい国の方もいるという話も聞きます。(実際韓国の人は儒教の影響か、日本人よりも高齢者を大切にする文化があります。)

「介護ロボット」に関しても、実用はそれほど遠い話では無いと思います。褥瘡(床ずれ)防止のために、人の手ではなく、ベッドが角度を変えて人を右向き左向きにするのはほぼ実用段階(そういう機能があるベッドは既にあります)に入っていると思いますし、一番ニーズが高い排泄に関しても、ある程度の匂いに反応して、おむつを交換するような機械ができれば、介護職員の必要性が低くなると思います。

色んな変化があると思いますが、さざんか園では利用者様の想いを中心に介護をしていくのは変わりませんので、これからもよろしくお願いします。

もったいないこと

副施設長の江頭です。当事業所がある吉野ケ里町の「町の木」はさざんかであり、さざんか園には今の時期きれいなさざんかの花々が咲いています。

写真は足湯の周りに咲くさざんかの花なんですが、この季節は寒くて外に出れないので、とてももったいない状況です。う~ん、もったいない、もったいない。

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看取りケアについて考えること

副施設長の江頭です。またまた少し長い文になっていますが、よろしければお付き合いください。

現在介護の現場では少しずつ「看取り」といい、亡くなるまで慣れ親しんだ施設で最後まで看ることが増えています。行政としても病院ばかりを使われると医療費が増えてしまうので、施設や自宅での看取りを勧めている現実があります。

私は病院で10年以上勤務経験があるんですが、亡くなる前の患者さんは点滴や経験栄養(鼻からの食事)、モニターなど多くの管でつながっており、いわゆる「スパゲティ状態」になります。意識は薄れ、ただただ生きながらえている状態です。たしかに口から食事をしなくても、鼻からもしくは直接胃から栄養を入れ命をつなげることはできます。でも平均寿命を超え、病院という味気の無い非現実的な場所で最後を迎える事が本当に正しい事なのかというと疑問を感じる事があります。たぶんそういう状況に陥った時は、本人は十分には判断できません。周りの人間が、その人にどうやって亡くなってもらうのか判断することが重要だと思います。私は介護事業所の人間なので、施設の利用者様が慣れ親しんだ場所で、慣れ親しんだ声を聴きながら、家族さんや職員に見守られながら亡くなってもらいたいと思いますが、それは私個人の意見であり、最終的な判断はもちろん家族さんであり、本人の意思です。病院に行けば寿命が長くなる可能性はあります。でも病院というのは「死なせない場所」であり、「生活の場」ではありません。介護施設は、十分とは言えない医療環境ですが、本人が一日でも楽しめる環境で亡くなっていくという事は、決して悪い選択では無いと感じています。

現在介護施設での「看取り」に対し、十分な教育はされておらず、医療・介護共に理解は低いと感じています。そもそも「死」というものを若い介護職員に理解してもらうというのは残酷であり、もっと時間をかけて少しずつ理解してもらうものだと思います。私自身も「死」に正面から向き合う事なんかできません。しかし正面からは向き合わなくても、一生懸命生きた高齢者の方のために、選択肢を増やす努力はすべきだと思います。

医療費の増大を抑える為に、病院が減っていく、もしくは医療に関する自己負担額が高騰する可能性が高いと言われています。つまり病院では死ねない状況になってくることが予想されます。ならば新しい可能性としての「施設での見取り」に対して、もっともっと真剣に考えていかなければならないと思います。

一日でも長く生きることを選ぶのか? 少しでも人間性を保ったまま死ぬことを選ぶのか? 医療技術が上がり、長寿社会になった今、新しい課題を我々は突きつけられていると思います。

さらなる負担

副施設長の江頭です。今回は少し小難しい話を長々と書いていますので、興味の無い方もいらっしゃると思いますが、よかったらお付き合いください。

財務省の「財政制度等審議会財政制度分科会」という長ったらしい話し合いの中で、介護度の軽い方は全額負担、介護保険を利用する場合は負担を現在の1割から2割などの話が上がっています。要支援者や介護度2までの方に関しては市町村の取り組み(総合事業)に任せ介護保険外にし、2割負担に関しては次回の医療改正に合わせて行ってはという提案が出ています。いずれにせよ国費を少しでも節約しようという動きは加速していきそうな様子です。

消費税も10%に上がるでしょうし、保険の自己負担が医療・介護共に上がる方向であるならば、本当に自分達の生活・趣味に回せる金額が限られてくる時代になってしまうのかなって思っています。年金の支払い等、少子化・高齢化で限界が来ているのは分かりきっていたはずなのに、いい顔ばかりして対応を後回しにしてきたツケをいま払おうとしているんでしょうか?

正直3年後の医療・介護の改正に合わせて今現在話し合われている事がそのまま改正の中身になる事が多いと思います。(いきなり改正前にドタバタと話し合うわけではなく、データを集めて段階的に話し合いをしているのが今という事です。)だとすれば社会保障に関する負担はかなり上昇することになり、国の補助の割合が減り、自己負担が増える形になると思います。

暗い話ばかりしてすみませんが、日本人はもっと将来を見据えて考える時期に来ていると思います。その場限りのご都合主義に終わらず、計画的に先の事を考え、一歩一歩進むべきだと思います。政治に関しても、もっと本気で将来の日本を立て直せるべき人を選ぶべきであり、能力の低い人気集めの政治家を増やすべきではないと思います。

社会福祉は国をうつす鏡です。高齢者(今まで国を作り上げてきた先人達)がいかに楽しい老後を迎えれるか? 結構今って我々日本人に試されている時期だと思います。

園内研究発表会

社会福祉法人久栄会では年に一度、「園内研究発表会」というのを実施しています。

それぞれの事業所で、今どんな問題があるのか、それをどうすれば改善できるのか、実際何かのアクションを起こしてどうなったのか? などを研究テーマに発表してもらっています。

でも発表者は発表する事になれておらず、しかもある程度の期間じっくりとテーマを決めて実施する事に難しさを感じているみたいで、毎年苦労しているみたいです。

日頃から課題をもって仕事をしていれば、それが発表になるんじゃない? というのは簡単ですが、なかなか課題を持ち、一日一日仕事をするというのは難しいかもしれません。でもいつも感じてる事なんですが、ちょっとした事でも自分なりに取り組み、それを継続していけば、気付いた時にはすごい所までたどり着いている事も多いと思います。昔はなんとも感じていなかった、道路や建物、テレビ、冷蔵庫、車などなど、多くの人が多くの時間を費やし、少しずつ改善し、結果我々の周りに自然にあるものは、ものすごい小さな事の蓄積なんじゃないかと思います。一日でピラミッドが作られた訳ではなく、まずは一つの石からすべてがはじまったと思います。

もちろん私もそうなんですが、課題や目標を持ち一日一日を大切に積み重ねながら仕事をしたいものですね。

脊振山の虹

副施設長の江頭です。

台風の吹き返しの風と雨が止んだ後、脊振の山に虹がかかっていた時の写真です。

虹というのは子供の頃はよく見た記憶があるんですが、車での移動が増えると、情報量が増えすぎるのかまったく気付かない事があります。

人もそうなんですが、あまりにも多すぎると、一人一人の存在として見れずに、大雑把なくくりでしか人を見れなくなることがあります。電車等でより都会に行くと、その感覚に気付く事があります。

それは人間の脳の処理能力の限界であり、自然に脳が重要な物事だけを選択していると思いますが、時にそれが大切な一人一人の思いや願いを無視してしまっているのかな~と感じる事もあります。

人は時に自分の歩みを止め、ゆっくりと周りの景色を見るくらいの余裕を持たないと、大切な事に気付かない事があるかもしれませんね。

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互助会BBQ

こんにちは、さざんか園互助会会長の武富です。8月6日、親睦を深めるためにBBQ会を行いました。場所は鳥栖市立石町お手水の滝の下、自然の森フィッシングリゾートです。買い出しからはじまり、佐賀牛たくさん買って持っていきました。火おこしが済んでようやく「かんばーい。」「お肉柔らかーい!」「このフルーツ最高。」「また、行こうね。涼しい時に(汗)。」仕事の事も忘れ、約3時間ばかり楽しいひと時を過ごしました。ただ暑かったー。今度は涼しい時期に計画ですね。

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なにも変わらないもの

副施設長の江頭です。

8月11日の神埼の夕景です。

よく、「佐賀には何があるの? 神埼ってどこ? なんにもないでしょ。」 とか言われる事があります。でもこの写真のように都会とか田舎とか、流通がいいとか悪いとか、人が多いとか少ないとか、全てを吹き飛ばしてしまう「自然の力」にはいつも圧倒されます。

私個人は若いころ都会に憧れ佐賀を飛び出して行った1人ですが、都会に疲れ佐賀に帰ってきたときにふと見上げたこの景色に、小さな事で振り回されていた自分がいかにちっぽけだったかを考えさせられました。

時々自分がどれくらいのものなのか、自然を通して見直すと、我に返る事がありますね。

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雑草との戦い

さざんか園の江頭です。

菜の花・梅・桜・モモの時期が過ぎると、さざんか園の周りは雑草がタケノコよりも早いスピードで伸びてきます。どんなに刈っても、刈っても、雑草は元気に伸びてきます。

いっそ草殺しでもかけてやろうかと思う時もあるんですが、他の草花への影響を考えるとやはり粘り強く草を刈るしかない状況です。

昔はこんな時どこの家でもゴミを燃やす所があって、夕方になると煙が出ていたものですが、今のご時世にそんなことでもしようものなら、「洗濯物がくさくなる。」「化学物資(ダイオキシン)が飛ぶ。」「飛び火で火事になる。」などの声があがってもおかしくはありません。

だから雑草の処理は、役場の配布しているゴミ袋を購入し、「燃えるゴミ」で出すか、軽トラで脊振クリーンセンターまで持っていくしかありません。しかしクリーンセンターへの往復を考えると、結局ガソリン代がかかったり、時間がとられるので、「燃えるゴミ」で出すのが一番だったりします。

 

雑草というのは実は高価なものだったんですね。