さざんかニュース

スタッフのつぶやき

スタッフのつぶやき

2019.3.2 春はもうすぐ

副施設長の江頭です。

2月も終わり3月を迎えているこの時期ですが、空気が少しずつ変わり「春」の近づきを感じるようになりました。

ここ数年は猛暑であったり、大雨であったり、地震であったりと、「天災」に振り回されることも多く、四季がある日本に居て、梅雨を迎える不安、夏を迎える不安を覚えてしまい、以前とは違う感覚を覚えます。

最近のさざんか園は、デイサービスの利用者様が増え、賑やかな雰囲気があります。利用者様の人数というのは、周りの施設状況など様々な要因があって、いつもいつも満杯で事業所が潤っている訳ではないのですが、できれば多くの人に利用してもらい、楽しい時間を共有してもらいたいと願っています。

まだまださざんか園のデイサービス・小規模多機能には余裕がありますので、是非一度見学に来て雰囲気だけでも味わって頂けたらと思います。

 

2019.1.7 あけましておめでとうございます

副施設長の江頭です。

いよいよ2019年、平成31年がはじまりましたね。4月1日に新しい年号を発表することが決まりましたが、書類上は平成31年と新年号が混在し、一部事務処理が混乱するかもしれませんね。実際介護保険証も平成32年度という数字が入っている方もいらっしゃいますしね。

去年は災害が多かったんですが、いきなり正月にまた熊本を震源とする地震が起こり、佐賀の方でも過去の熊本地震を思い出すような揺れでした。その時は本震と言われていた揺れが実は違って、あとから本震が起こったということもあり、正月の地震の後もなんだか落ち着かない気持ちになっている人も多いと思います。

今年のさざんか園としてはいつも私がここで書かせているんですが、しっかり先を見据え、何をすればいいのかを考えながら一歩一歩進んでいくこと、それにつきます。社会福祉法人として、それぞれの事業所が介護保険法を守りつつ地域の人の支えになること、地域で介護保険や認知症の理解を深めること、職員が働くことの意義を理解し働く喜びを感じられる環境を作ることなどなど、やらなければならないことは山積みです。その中で一人よがりにならずに頼る所は頼り、色んな人とタッグを組みつつ前進したいと思います。

今年もさざんか園をよろしくお願いします。

 

2018.12.29 待ち人来ず、されど時は過ぎ行く

副施設長の江頭です。

2018年が過ぎようとしてますね。平成ももうすぐ終わろうとしています。これから介護業界は2025年という団塊の世代が75歳以上になり介護を必要とする高齢者が一気に増える時期に向け、その準備をしなければなりません。

ただそのニーズ(必要性)に対し、それを守るマンパワー(人)が圧倒的に少なく状況は変わり映え無く、行き当たりばったりの外国労働者の雇用に頼らざるを得ないというのが唯一の方法という悲しい現実は変わりません。

本当の意味での危機感というものを感じた時にはじめて人は動き出すかもしれないし、その時になってから有効な答えが出るのかもしれませんが、不安感を抱えながら将来を憂う状況は健全ではないという思いもあります。

60歳を超えてまで働いてもらうのか、親の年金で生活しているニートに社会復帰してもらうのか、開国をし外国人にどんどん入ってもらうのか、機械化を進めマイナンバーに情報を集約しとにかく効率化に進むのか、日本という船がどこに向かおうとしているのかこれからが大事な時期であることは間違いありません。

来年は今年より少しでも明るい未来が見える年にしたいですね。

 

2018.12.7 師走になにを思う

副施設長の江頭です。

灼熱の夏がすぎ、気づけば肌寒さを通り越し、寒風吹きすさむ冬になっていることに今更ながら驚きます。さざんか園では色々なイベントが嵐のように過ぎ去り、また一年が通り過ぎようとしています。それにしても人材難での外国人の話題が国会での議論を含め当たり前になってきた印象があります。以前から外国人の受け入れに対してはここでつぶやいていましたが、少子化の波があまりにも早く、あぐらをかいていた日本が急に色めき立っている印象を受けます。このまま開国を受け入れ、外国人に対する扉を大きく開いていくのか、文化の違いを許容できずに混迷していくのか、様々な問題が噴出している状況ですが、議論を十分にせず、必要だからと扉を開いている状況に対し幾分危機感を覚えている人も多いと思います。

正しい答えを出すということは、様々な角度から物事を見て、固定観念にとらわれず、柔軟に考え、論理的に答えを出すということだと思います。ただ人材難という危機的状況において、その波を止められず、流れに押し切られてしまい、問題が起きればその時に考えればいいという事なかれ主義が横行してしまえば、日本という船は羅針盤を失い、たださまよい続けてしまう気がします。

溺れないように、ただしっかりと目標を持ち、泳ぎ続けていきたいものです。

 

2018.10.1 「ふれあい祭り」のお礼

副施設長の江頭です。

先日9月29日土曜日にさざんか園にて「ふれあい祭り」を実施しましたが、大勢のお客様に来て頂き大変感謝しております。今年は台風の影響もあり、ぽつぽつと雨がふったり、少しだけ強い風が吹いたりの状況でしたが、利用者様はもちろん、御家族様、地域の方など多くの方に来園して頂き、例年の事ですが、感謝という言葉では言い表せないほどの喜びを感じております。

敬老のお祝いを兼ねてのお祭りでしたが、百歳を超える方が2名在籍しており、お元気な姿を見て地域の方もびっくりされていた様子でした。こうやって今まで社会に貢献して頂いた方に感謝の気持ちを伝えることができるのはうれしい事であり、ずっと「ふれあい祭り」が続いていけたらとおもいます。

今年も皆様ありがとうございました。

 

2018.8.4 心の余裕

副施設長の江頭です。

大雨、台風、酷暑と今年の夏は異常気象真っただ中ですね。ただそのことばかりを言っていてもはじまらず、日常は続いていくのであり、少しでも一日を楽しく心の余裕を持ち過ごしたいものですね。

介護業界は相変わらずの人手不足ですが、「外国人労働者」について少しお話ししたいと思います。日本は高齢化・少子化が進んでおり、人口は減っていく一方です。特に働き手である20代~50代の人口が減ってしまうと、日本経済が回らなくなるということになります。そこで外国の方に来てもらい、働き手として助けて頂きたいという考えが生まれる訳です。日本は開発途上国に比べ裕福であり、日本円を稼ぎ自分の国に仕送りをすればそのお金は数倍の価値になります。だからこそ日本に働きにくる意味は一部の外国人にとってとても意味のあるものです。でも日本は今までなかなか外国人に対して労働許可を下ろさなかったり、下ろしても期間が短かった歴史があります。それは日本が未だに鎖国意識があるからかもしれません。ただ背に腹は代えられない状況が近づき、その規制が緩和される可能性はかなり高いと思います。つまり言葉がそれほど必要としない単純作業やマニュアル作業を外国人が中心となり担う時代にこれからなっていくということです。コンビニ・レストラン・工場などは東京では当たり前のように外国人が多く働いています。パソコンやタブレットで画面をタッチしてコミュニケーションを取るようになれば、もっともっと外国労働者が働ける場は広がると思います。

多くの外国の方が日本に来られた時に、その方たちの文化を理解し、大きな心で迎えれるかという「心の余裕」が我々日本人に求められる必要があると感じます。時折外国の方がマナーを守らず秩序が乱されているというニュースが流れていますが、それはその国の文化を考えれば何も問題がないことなのかもしれません。自分の物差し・尺度から逸脱しているからそう考えるのであり、もっとその文化を学べば許容できるのかもしれません。

ただ日本人として、常識・マナーを叩き込まれてきた者にとって、それがどこまで許されるのかを考えなければなりません。日本人は日本独特の美意識・立ち居振る舞いなどの知らず知らずの決まりの中で生きています。それが美徳ではなくなり、他の様々な価値観を受け止められるのか? 「心の余裕」を問われる時が目の前に迫っているのかもしれませんね。

 

2018.7.9 大雨の影響について

副施設長の江頭です。

7月6日金曜日の夜、大雨の影響で隣の田手川土手が一部崩れ、さざんか園の逆側の地域に避難指示が出ました。反対側の地域とはいえ、雨が続いて決壊した場合は、交通網含め大きな影響がある事もあり、土曜日のデイサービス・配食はお休みにさせて頂きました。ご迷惑をおかけしたことをお詫びしたします。

7月9日月曜日は通常営業に戻り、利用者様・職員にも大きな被害はなかったとの報告を受けています。とはいえ今現在も多くの方々が大変な状況にあるので、早く通常の生活に戻って頂きたい、何かできる援助はないかと憂うばかりです。

 

2018.6.16 梅雨の晴れ間に自立支援についてつぶやく

副施設長の江頭です。

梅雨の間の晴れ間なのか、梅雨が早めに終わろうとしているのかは分かりませんが、気持ちいい晴天が続いています。開幕したサッカーのワールドカップは今一つの盛り上がりですが、日本が勝ち進めばそれはそれで日本中が大騒ぎになったりする気がします。アメリカと北朝鮮の話し合いもそうなんですが、一年前は戦争になりかけていた国同士が急に仲良くしたりと、最近は何か浅く表層的な部分での盛り上がりが多く、何か芯が通った物事の進み方では無く刹那的というか薄っぺらい世の中になっている印象を受けます。それは以前ほど同じ方向を皆が向いていないというか、個人主義が強くなり、好きな事は深く考えるけど、そうでもないことについては浅く考える傾向があるのかなとも思います。多くの考えがあり、それぞれの考えを尊重するということは、全体からすると薄っぺらくなるとも言えます。

介護の世界でも少しずつ「個人主義」というか団体で行動する事を否定し、自分の好きな事、自分のやりたい事だけをしたいという考えの方が出てきています。デイサービスではギャンブル(パチンコ、パチスロなど)や麻雀・将棋・囲碁、カラオケボックス、最近ではジム顔負けの機械が揃っているところも出てきています。それは全員が同じ行動を取る事の日本人が感じる同調性や和の心がなくなってきていることなのかもしれません。特徴としては男性がそのような思考になる人が多い気がします。(女性は集まってお話しするのが今でも好きですからね。)

デイサービスなどの介護施設が今まではどんなに介護保険が「自立支援」とうたっていても、利用者様が離れてしまわないように、楽しんでもらうという事を大事にし過ぎていて、ちょっと頑張れば家に戻れる人でも、「その場所に居ることが楽しくなる」という事が一番になっている。つまり本来の目的(自分の生活を自分でやれる能力の回復)は棚上げされてしまい、目的を解決するための手段であるはずの介護施設が目的になっているという矛盾が生じているのが現実です。それは全てが悪い訳ではなく、共働きの家庭で一人家に居るおばあちゃんをどこかに預けて介護負担を減らすというのも大きな目的なので一概には間違いとは言えませんが、幾分依存的にしてしまったり、自分達の事業所の利益保護が一番になってしまい本来の自立支援(デイサービスからの卒業)を妨げてしまっている現実もあると思います。

厚生労働省が最近自立支援を改めて強く主張しているのは、社会保険料の高騰を防ぐためという考えが透けて見えて嫌なんですが、本来の「自立支援」「介護保険制度」というものは何なのか、それぞれの職種が本来の役割をこなせているのかを問い直す良い機会だとは思います。法人の飼い犬になっているケアマネにもっと公平性・独立性を求める動きがあっていいとも思いますし、自立支援のプランを作るケアマネにもっとレベルアップを求める必要もあると思います。そしてこれらの厳しい意見は全て自分に跳ね返っているという事もよくわかっています。

バラバラの考えをまとめ上げ本当にしなければならない理想を叶えるという事はとても地味であり、多くの人は気付かない努力だと思います。ただその理想に向かって歩いている人に気付く人は必ず居ると信じています。地味だけど一歩ずつ、芯のある考えを持ち歩き続けたいものですね。

 

2018.4.30 想いを受け止めること

副施設長の江頭です。

春の心地よい気候が引きこもりがちな心を外に連れ出してくれるような季節になりました。さざんか園では相変わらずな毎日ではありますが、利用者様の変化に柔軟に対応すべく、そしてより心地よい生活を送って頂けるように日々格闘しています。

最近世間ではセクハラ・パワハラ・アルハラ(お酒系)など、ハラスメント祭りといった変な盛り上がりを見せている気がします。これは古い世代では当たり前だったことが新しい世代では受け入れられず、大きな考え方の違いがあるにも関わらずそのままにしていたことが表に出ているような気がします。最近問題になっている、お酒の席での「無礼講」は今の時代ではただの「自己管理が甘い」だけでありまったく通用しませんが、一部のお酒好きな人はいまだに「お酒飲めないんですか? 損してますね。」と言った発言を平気でして飲まない人を困惑させていたりします。

常識・モラルは常に揺れ動いています。昔の常識は今の非常識だったりします。例えば体罰を使う教師は、それが例え双方にとって納得のいく答えだったとしても客観的に見るとアウトです。考え方を変え、方法を変えるしかありません。体罰を使用することで気持ちが大きく変わり生徒が更生の道を選ぶかもしれませんが、今はその方法を使わず、例え時間がかかっても言葉で相手に理解してもらうしかありません。結果体罰を使った方がショック療法で早く更生すると分かっていても、言葉ではなかなか理解できず結果退学するとしても、体罰という方法を使ってはいけない時代になったという事です。

常識を変える、考え方を変えるという事は、時にライフスタイルの大きな変化を伴います。お酒でしかストレスを解消できない人がスポーツなどの他の趣味や方法でストレスを発散するしかなくなります。利己的な性格の人はこれがなかなかできず、もがき苦しむ結果になります。ある程度の年齢がいった人はこれができず結果時代に取り残されたように新しい考え方についていけず様々な問題を引き起こしているように思います。

これらの事は実は「認知症介護」においてよく問題になることです。認知症は普通の人が高齢になり発症し、少しずつ能力を失います。つまり常識人として社会に適応していた人が社会に適応できなくなる問題があります。その時に周りがうまく認知症の方の現状を理解し、合わせてくれれば特に何の問題もなく生活できることが多いです。ただその人の変化についていけず、「どうしてこんなことするの?」「昔はできていたのにどうして?」と考えだすと、繰り返しの質問に腹を立てたり、場所が分からずうろうろされることに対して過剰に反応し極端に病人扱いすることになります。能力が少しずつ落ちるのは認知症という病気のせいもありますが、高齢になると当たり前の事でもあります。周りの変化に恐れず自分も変わっていくことが実は今の時代求められているんじゃないでしょうか? 認知症の方の「想い」に応えられないときはいつでも「さざんか園」が相談にのりますので、よろしくお願いします。

 

2018.4.6 新年度の挨拶 人材不足の世の中を憂う

副施設長の江頭です。

いよいよ新年度になりました。色々制度が変わり、食品の値段が変化したり、配偶者控除の金額が150万円に変わったり、北朝鮮が急に周りと仲良くしたりと、我々の生活にも少しずつ影響が出てきています。

個人的には今年さらに変化しそうなのが、人材不足に対する「機械化」が更に進むのではないかということです。全ての買い物がマイナンバーカードなどで、お店の出口で一発で会計できるようになれば、人もレジも紙も要らなくなります。ネットショッピングもどんどん加速するでしょうし、実店舗で詳しく説明する方法と、無駄をそぎ落としていく方法に2極化すると思われます。人がいなくなると犯罪が起きやすくなるかもしれませんが、最近のカメラは優秀で、人の認識はもちろん、歩き方の特徴で人を認識するなんて技術も開発されているので、下手なことはできないと思われます。映画の世界と思われた機械が中心の社会は、結局人が勝手に居なくなることで進むという悲しい未来なのかもしれませんね。

最近介護の世界でよく話されているのは「外国人労働者」の件です。ベトナム、フィリピン、インドネシア、ミャンマーなどの基本アジアの労働力の獲得です。もともとEPAという制度で外国労働者の受け入れは行われていたのですが、この制度がうまくいっていたわけではなく、もともと外国のエリートの方が日本の技術を学ぶために来ている訳で、自国に帰り今はその国の指導的役割を担っており、ずっと滞在して日本の労働力になっている状況ではありません。つまり外国労働者は自国に帰るということです。ずっと日本で働く訳ではありません。(最終的に資格を取れなかった人は不法入国者として日本に残り稼いでいるという話も聞きます。)

以前私は外国労働者については軽く考えていました。「安い給料で働いてもらえるだろう。」「単純作業中心なら大丈夫だろう。」などと安易な考えを持っていましたが、それは発展途上国だと幾分馬鹿にした差別的な考えであると思います。日本で稼いだお金が途上国だと数倍になることを利用して人を集めることが正しいことなんでしょうか。

少子化・高齢化は日本が招いた問題であるのに外国人に頼るのは他人のふんどしで相撲を取るようなものであり、まずは日本が自分たちの力で解決しなければならない問題だと思います。それが結果として機械ばかりの無機質な社会になったとしても、それが自分達が招いた事だということを認識すべきなんじゃないかと。親と子、家族の距離が遠くなることになる外国労働者の登用は、親と子の関係が希薄になっている日本の高齢者の気持ちに寄り添い同感していた介護業界だからこそ慎重になるべきであり、そこに頼るのは最後の最後じゃないかと考えます。

「そんな状況じゃないんだよ。」「もう人手不足でどうにもならないんだよ。」という気持ちで多くの人が動かれているのは分かります。でも日本の中で何とかならないかという気持ちを私はどうしても持ってしまいます。機械に頼るのも一つ、元気な高齢者に頑張ってもらうのも一つ、モラトリアムな若者に目を覚ましてもらうのも一つ。

我ながら長いつぶやきでした。あしからず。

 

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